すでに学校が始まっている地域もあると思いますが、今週、夏休みが明ける学校が多いようですね。
この時期になるとここ最近よく聞かれる言葉として「無理して学校に行かなくていいんだよ」という言葉です。
確かに無理してまで学校は行くところではないかもしれません。
ただ、無責任にこの言葉を使うことには危険を感じます💦

今日はその点についてどんきー先生がお話ししたいと思います😄

目次

この時期、子どもたちの中には「学校に行きたくない」と感じてしまう子が増える傾向にあります。
こういう傾向のお子さんが増える理由として
・一ヶ月と長いお休みを経ることで、4月から7月まで頑張り続けたところへまた戻っていくことへの負担感が強い
・夏休みに出される宿題ができていない
・久しぶりに会うクラスメイトとどう顔を会わせればいいかわからない
・いじめのようなことを受けているとまたいじめられに行くのが怖い
・給食が食べれるか不安

など
子どもによって理由や原因は千差万別です。
「これだ!」とはっきり言える要因は存在しません。
誰にでも起こりうることが理由となっていることがほとんどです。
子どもによって理由は違うはずなのに、やたらめったに「無理して学校に行かなくていい」と言ってしまうことへの危険とはなにか。

無理して学校に行かなくていいとむやみに子どもへ伝える危険性

上記にあげているように子どもたちが「学校に行きづらい」と感じる要因は様々です。


要因が様々なのにそこをなんの分析もせず、単に「無理して学校に行かなくていい」としてしまうと子どもたちの「無理してがんばったことで乗り越えられた」経験を奪いかねないと私は考えます。
確かに子どもが「死ぬほどつらい状況」になっているようなら、無理して学校に行かなくていいと思います。


ただ、子どもの状況によっては「ちょっと無理すればできた」かもしれないということも存在しているはずです。


例えば、宿題ができていないということが「学校に行きづらい」理由だったとしましょう。
やらなかったのは子ども自身の責任です。その責任はやらなかった子ども自身が責任をとるしかありません。
この場合の解決法として先生に正直にできなかったことを言うという方法があると思います。ただ、それを選択するには勇気のいることでしょう。でも、それをできれば子どもにとっては「乗り越えた」経験になるかもしれません。


それを簡単に「学校に行かないでいい」という解決法を取ってしまえば、そこを「乗り越える」ことができずに一時的に避難しただけに過ぎず、「休んだことで起こる問題」が発生します。


もちろん子の特性によってはそれができないという子もいます。

その場合は特性によってフォローが必要だし、正直に言ったことでトラウマになるぐらい先生に叱責されたことがあるような場合はこれも例外です。


つまり、「回避」することで別の問題が浮上してしまい、より子どもを苦しめてしまうこともあるということです。

それでも「無理して学校に行かないでいい」と伝えるのであれば、その先のプランまで用意してあげて欲しいと思います。
その先のことが白紙なのに無責任に「学校に行かなくていい」と子どもに伝えるのはあまりにも危険だと私は思います。

伝えるぐらいなら言わないで見守る

もし、子どもがどうしても学校に行けないという状態になり、関わる大人たちが「学校に行かない」先のプランを用意してあげれないときは「無理して行かなくていい」とは伝えず、子どもたちを見守ってあげて欲しいと思います。


周りの大人たちが先々のことを考えず、とりあえず「無理しなくていい」ということを伝えてしまうと、子どもによっては「もうあきらめられてるんだな」と捉えたり、「期待されてないんだな」と感じたり、してしまいかねません。
そうなるぐらいであれば、変に何かを伝えようとするのではなく、子どもたちの行動を見守ってあげて欲しいと思います。


見守ることで子どもたちは「任されている」という捉え方ができるかもしれません。
「見守る」ときには、子どもたちの発言を良く聴いてあげてください。
「否定も肯定もせずにしっかり耳を傾ける」ことを意識しましょう。


そうすることで、子どもは子どもなりの考えをまとめることができる可能性があります。
逆にこちら側が聴く耳を持たず、何のプランもなく「ああしろ」「こうしろ」と言ってしまうと子どもからの反発を招き、子どもとの関係性が悪くなってしまいかねません。また、反発させることでより子どもが内にこもっていってしまうことも考えられます。

見守ることで子どもの主体性も見えて来ることもあります。
その主体性が見えたとき、働きかけが必要になってくることもあります。

見守った先にどうするか

子どもを見守った先にどうするか。


見守り方によっては
🔶子ども自身が自ら動き出すケース
🔶子ども自身が自ら動き出そうとはしてるけど、どうにもならないというケース。
🔶見守り続けても動き出そうとしないというケース
にわかれます。
どういった対応が必要かを説明します。

子どもが自身が自ら動き出すケースでは、子ども自身でどうにかしようとしているので引き続き「見守る」必要があると思います。


見守る中で子どもの方から関わる大人に頼ってくればサポートしましょう。
親のできること、学校のできること、他の居場所ができること、公的な支援ができること、民間の支援ができること、病院ができること、それぞれの立場によってできることは異なります。
それぞれの立場でできるサポートを見極め、子どもの必要とするサポートをしてあげましょう。

子ども自身が自ら動き出そうとしてはいるけど、どうしていいかわからないというケースでは、子どもから頼ってくるのをまずは「待つ」。それでも、頼ってこないのであれば、関わる大人側から働きかけが必要となることもあるでしょう。働きかける時には、子どもの意見も十分に汲み取ってやりながら、働きかけていきましょう。

見守り続けても動き出さないケースでは、それでも「待つ」と覚悟を決めるか、専門の相談機関へ相談をしましょう。見守り方が子どもに対して合っていないか、見守るだけではどうにもならないケースだと考えられます。

一件一件背景や原因が異なる

ここまで、「無理して学校に行かなくていい」と言わず、見守るという対応をし見守った先にどう対応するかをお話ししてきました。
ただ、この対応がすべてのケースで正解!というものはないと思います。
一件一件、子どもが「学校に行きづらい」と感じる背景や原因は異なります。

先ほど挙げた「宿題ができないから学校に行けない」というケースで考えてみると、学校に行きづらくなるきっかけは「宿題ができなかった」。そのきっかけを「先生に謝った」なりして子どもが乗り越えていけたら、それは子どもにとって「乗り越えた経験」として経験値になる。
それでも、解決できなかった場合は、なぜそれをきっかけに子どもは「学校に行けなかったのか」という要因を分析する必要があります。
こういった場合は「宿題」というきっかけだけを解決しても、その要因を解決しないと問題解決に至らないことが往々にしてあります。

その要因を分析するには
✅子ども自身の特性
✅過去の経験
✅学校風土
✅家庭環境
など、子どもを取り巻く環境すべてを分析する必要があります。

ここまでしないと要因は見えてきません。
要因が分析できると適切な見守り方や必要な働きかけ方も見えて来るかと思います。
そして、「無理して学校に行かなくていい」という言葉がけが必要かも見えてきます。

家庭だけでこの分析が難しいと感じられる場合は第三者目線でしっかり分析していただける相談機関へ相談されることをお勧めします。

ここまでお読みいただいてありがとうございます😊

それでは、また次回!

どんきー先生🙋‍♂️